代替療法の世界 第4回「ナイチンゲールとマッサージ」

体外と体内の環境調和に注目。自然治癒力見つめる看護

鬼は外、福は内というように、外と内を区別することは昔から行われて来た。節分の風習では鬼を病気とみなして病人が出る事を恐れて豆を撒いた。翻って、外と内を人体に当てはめてみるとどうであろうか?
体外は環境。体内はホメオスタシスとでもなろうか。今日では、環境要因が人体に及ぼす影響については異論がないと思うが、19世紀までは環境要因が健康に関与しているとは考えられていなかった。無論、経験的には分かっていたのかもしれないが科学的には証明されてはいなかった。

 

クリミア戦争での功績

看護学の祖、フローレンス・ナイチンゲールが初めて、環境が人体に対して影響することについて示した。彼女はクリミア戦争で名を上げた。その方法は非常に戦略的であった。彼女のチームは医師に嫌われており十分な活動が出来ない状況だったため、医師からの依頼があるまで援助を申し出ないことにした。

戦況が悪化する中、傷病兵が多数運ばれてくる。多数の死傷者に手が回らなくなった医師たちは援助を願った。そして不衛生な野戦病院の改革が始まる。清潔な衣類と寝具。換気が十分にされた部屋。栄養のある暖かい食事。そうやって傷病兵の自然治癒力を上げる事により、40%を超えていた死亡率を5%以下に抑えることができた。それでも彼女の功績を妬むものがいた。数学者でもあり統計学に明るかった彼女は、自身が行ったことをグラフにして王族や軍幹部に示した。看護及び環境医学が科学的に意味あるものとして認められた。近代看護の幕開けである。また彼女は外部要因だけではなく、内部要因にも注目していた。

日本にもナイチンゲールの精神と教育は受け継がれた。京都看病婦学校では、リンダ・リチャーズが運営の指揮を執り、直接ナイチンゲールから教えを受けた看護を伝えた。特筆すべきは、そのカリキュラムの中でマッサージが教えられていたという事である。一年次には座学、二年次には実習という形で、しっかりと教育されていた。ナイチンゲールが外部環境だけでなく内部環境に対してもアプローチ方法を持っていた証左であろう。その方法の一つとしてマッサージを採用していたのである。

看護学の祖」フローレンス・ナイチンゲール

そして特別講師として瀬尾清明氏を迎え、特別マッサージという講義を行っていた。彼は、日本で初めてマッサージの専門書を翻訳して紹介した長瀬時衝の高弟である。

師匠である長瀬氏はドイツを起点にヨーロッパ各地にてマッサージを修め、帰国したのち、マッサージを用いた医院を開業していた。治験例をいくつか挙げよう。三叉神経痛6人全治、1人不治。上肢麻痺5人全治、3人不治。乳腺腫3人全治。神経性消化不良5人全治、3人不治。肺結核6人不治。用いられたマッサージは慰安的なものではなく治療的であった。内科、外科疾患を問わず全科的。

抜け落ちてしまった教育

京都看病婦学校では、明治時代から昭和初期にかけて約50年間マッサージは教育された。また看護には乳房マッサージ、リンパ・マッサージなどの方法はあるが、現在の看護学校等では正規科目として教えていない。成人看護学の実習でのリハビリテーションなどで少しかじる程度だ。大学、専門学校、高校に確認を取ったがどれもが同じ答えであった。教育年限の違いはあるが、国家試験の受験資格はどの学校も同じであるため、共通のカリキュラムの中からマッサージの講義は省かれている。今では代替療法の一つであるマッサージは看護教育の中からはすっぽり抜け落ちてしまった。

なぜ看護教育からマッサージが無くなったのか? その理由の一つとしては制度の改正があると思われる。あんま・マッサージ・指圧師法や理学療法士法の制定によって、よりマッサージが細分化されることで現代の看護師の教育から消えていったのであろう。

しかしながら初期の看護にはそれらに対しての理解が十分にあったということであり、外と内の調和を取ることにより自然治癒力を発現させる方法論を持っていたのである。今はどうだ。現代医療に代替療法の根幹をなす自然治癒力に対する理解と運用は豆粒ほどでも残っていようか? 今こそナイチンゲールの遺志を刻みたい。


山﨑 徹(やまさき・とおる)

はやま接骨院(高知県高岡郡)院長
・看護師
・柔道整復師
全日本オステオパシー協会(AJOA)京都支部長
シオカワスクールオブ・カイロプラクティック ガンステッド学部卒NAET公認施術者
 
看護師、柔整師の資格を有する傍ら、カイロプラクティックとの出会いからシオカワでガンステッドを学び、21世紀間際にスタートした科学新聞社主催の「増田ゼミ」 で増田裕氏(D.C.,D.A.C.N.B.)と出会ったことから、以後、氏の追っかけを自任し 神経学、NAETを学ぶ。現在は専らオステオパシーを学び実践しているが、これまでに 身につけた幅広い知識と独特の切り口でファンも多く、カイロ-ジャーナル紙から引き続き連載をお願いしている。

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