其の四十六 「2月 その2」カイロプラクティックジャーナル

  其の四十六 「2月 その2」

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斎藤信次残日録 其の四十六 「2月 その2」2019.08.05

6日は13時半から制度化推進(準備)会議が開催されるので、10時にはJSCC、徒手医学会の事務局長の木村君が来社し、時間まで昼食を挟みミーティング。と言いたいところだが、学会は閑散期でさしたる議題なし、ただダベっていたが、案外こんな風に緊張感から解放されているときの方が妙案が出ることも多い。この日はと言うと、何を話したか覚えていないところからすると、ホントに大した話をしていなかったのだろう!

夕方は木村君が長年勤めた病院を任期満了で退職したと言うので、世界貿易センター(WTC)地下の某居酒屋(私が開いている勉強会に参加し、懇親会を経験している人たちなら、「ああ、日本人の従業員が一人もいない、あそこね!」とすぐわかる店)で、最寄り駅に停車する最終の新幹線の時間まで、個人的に慰労会をして一日を締めた。

櫻井のあとは草加・古谷施術院

7日は午後に櫻井が来社、遅い昼食を挟みミーティング。夕方と言うより夜と言った方がいい時間から、草加の古谷さんのところでミーティング。年末からの懸案になっていたが、なかなかタイミングが合わず、年末、年始の挨拶がこの日になってしまった。

しかし、古谷さんとは電話やメールのやりとりを相応にしているので、会えば即決即断、カッチャン(勝俣君)も同席のもと話がスムーズに運ぶ。というか、「これはこうですよね」「これはこうでしたね」とすべて確認している感じだ。この日も、軸トレ塾の「臨床編」「第9クール」の話があっという間に終了、飲めないカッチャンが食べることに専念する、体育会系の夕食のお相伴に与り、草加をあとにした。帰宅するといつも日が変わる直前で、風呂に入って寝ると、あっという間に「アサァー」(これも谷岡ヤスジの漫画の1コマであるが、古すぎてダメかな?)となり、とても健康的な生活を送っている。

2月は忘れられないことばかり! 父親の命日、Hiro、櫻井来社

8日は亡き父親の誕生日。因みに母の命日が6日(実際は5日。医者がなかなか来ず、12時を回ってからやっと来て、「ご臨終です」と)、2月はなんとなく記憶すべき日が多い感じだ。40数年遡ると、私の頃は私立文系の大学入試がほとんど2月で、決して自慢にはならないが、これも人一倍経験した。14時にHiro(AOアトラスオーソゴナルの井上裕之君)が来社し、久しぶりに情報交換をした。Hiroと呼ぶのにも慣れ、自然に発することができるようになり、これまで以上に密に話すことができるようになった感じだ。

18時半には、翌日から3日間の通訳が待っている櫻井が、講師のケリー・ダンブロジオを箱崎のエアターミナル(T-CAT)まで迎えに行き、ホテルにチェックインさせてから来社した。彼のセミナーは始まりから科学新聞社の主催でやってきたが、昨年の4月から櫻井が代表となって立ち上げた「セラピーウェイ」に譲った。しかし前回は準備不足から私の手を離れることはなかった。なので、実質的には今回から完全に移行しての開催となったが、会場、資料、修了証のことなど、まだまだ手が離れる状態にはならなかった。翌日からの3日間、「果たしてどうなりますことやら」と思いつつも、責任がない分、メチャクチャ楽な気分だった。

セラピーウェイ主催「ケリ・セミナー」、主催者の呼びかけた懇親会?

9日(土)、ケリー・セミナーの初日である。参加者は当然のことだが100%見知った顔だ。ケリーから毎回もらっていたお土産(クラウンローヤルというウイスキー)がなくなった。ケリーはどうするかな、と若干様子を見ながら挨拶したが、案の定なし。私も主催者じゃないのでドライに振る舞うことにした。スタートしてからは帰社して、この日はほとんど溜まった内勤仕事に精を出した。

初日終了。この日は珍しく飲めない櫻井が、主催者として懇親会を呼びかけたのだが、やはりどうしても私の出番となる。店、予算を決め、つつがなく一次会を終了。主催者の櫻井が私に1人分の会費を渡してきたのにも、慌てず騒がず何事もなかったように有志で二次会に向かった。櫻井は翌日の通訳があるので帰ったが、いようがいまいが必然的に私が仕切ることになる。世の中、収まりのいいところに収まることになっているようだ。

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