代替療法の世界 第16回「孫子の兵法! 守屋氏の待望の新刊を手にして」

脳の中の痛み -痛み学NOTE- 守屋徹・著 A5判355頁・カラー/定価:本体5,800円+税 科学新聞社刊

本ウェブサイトに寄稿させてもらっているライターの一人として、甚だ僭越ではあるがちらっと感想を言わせてもらうと、カイロ-ジャーナル紙の連載時からずっと感じていたことだが、守屋氏の文章はすこぶる読みやすい。奇をてらうことなく難解な言い回しもない。

 

良いものは良い、良くないものは良くない、すべて私の主観前回の答え合わせ

こんなことを書くと、本書の発行者で本ウェブサイトの代表でもある斎藤氏と私、山﨑の関係性から、依頼を受けて(脅されて)こうした書評を書いているのでは、と勘ぐる人がいるかもしれないが、答えはノー! 頼まれてもいないし、本も自腹で購入している。あのね、そうじゃなきゃ自由に物が言えないでしょ! 少なくとも日本では表現の自由がある。隣の国とは違って大切に守られている。だからこそ、忖度が働かないように書評を書くときは自腹購入が原則だ。良いものは良いし、良くないものは良くない。私の主観で自由に書くだけ、単純明快な話である。

 

見本を見かけて

さて前置きはこれくらいにして本論に入る。本書が出版されるひと月以上前に、斎藤氏の部屋を訪れたとき、本棚に本書の見本が置いてあった。中をめくって、「これは」と衝撃が走った。それまで守屋氏の存在は知っていたものの面識はなかった。即、守屋氏にFacebookの友達申請をした。それ以来の関係であるが、その本が出版されたと知って、すぐさま斎藤氏に注文した。

 

敵も己も知れば、危ういことはない。治療もしかり!

この『脳の中の痛み –痛み学NOTE-』は前述の通り、長くカイロ-ジャーナル紙に連載されていた記事に加筆修正を加えたものだ。守屋氏が長い間、痛みに向き合い知己を得てきたことが書かれている。様々な角度から「痛みとはなんぞや?」ということをテーマに論じている。

「敵を知り己を知れば百戦危うからずや」序文に孫子の兵法の一節を引き合いに出して、「痛みを敵、それを知ることでどんな患者にも対応できると」と守屋氏は説く。古来より読み続けられる孫子である。戦国時代は武田信玄が風林火山の旗印にも引用した。ビジネスシーンでも応用できるし、治療もまたしかり。

 

敵を知らず己を知れば、勝ち負けを繰り返すだけ。再現性を語れず!

その孫子には続きがある。「敵を知らずして己を知れば一勝一負す」である。自分の治療方法に自信がある治療家でも、痛みである敵のことがわからなければ勝ち負けを繰り返す。勝つこともあるが、負けることもある。勝負は運否天賦(うんぷてんぷ)。神のみぞ知る戦いである。そんな丁半博打(ちょうはんばくち)のような治療ができるか? 少なくともあたりをつけて治療して、再現性のあるものに仕上げていかないといけない。「痛み学NOTE」がどのような位置づけか? その意味が良くわかる孫子の一節である。

 

敵も己も知らなければ、危ういことばかり。獲物を捕らえられず!

さらに「敵を知らず己を知らざれば,戦う毎に必ず危うし」と続く。痛みのことも知らない。自分自身の治療スタイルも確立できていない。また自分の治療方法の弱点も把握していない。何をしたらいいかもわからないし、今の自分の現状を把握もしていない。

そうした自分を知らない治療家は、セミナーに出席すると講師の一挙手一投足に注目し、一見、鵜の目、鷹の目(うのめ、たかのめ)に見えるが、実のところ、どうでもいい言葉尻ばかり捕らえて、自分自身がわかっていないから、鵜や鷹のように獲物を捕らえることはできない。それは鵜の目、鷹の目ではなく、ただのアラ探しと言う。

 

質問で人間性浮き彫り。本性丸見え!

そうして果てには「他の講師はこう言っていたが、あなたはどう思うか?」などと失礼極まりない質問をする始末。もはや末期症状である。この人は高い受講料を払って一体何をしに来たのだろうか?

質問力はそのまま人間性も問われることになる。海外講師はニッコリ笑って受け流すけれど、オフセミナーで本音を聞くと、「さっきの質問してきた人、心が疲れているね」とすべて見抜かれている。欧米人はやんわりと批判するから。心が疲れているとは、頭のおかしい人と同じ意味だ。

 

自己分析とターゲットの特性を知る。鳥は片翼だけでは飛べない!

そんな治療家は治療するたびに危うい。つまりは負けることが多くなる。これは患者を納得させるだけの治療ができないと同義である。そうならないために,自己分析をすることで自分の治療方法について、学びの欠点を知ることだ。守屋氏はそれを行間で伝えているように思う。痛みの知識は治療家として必要条件である。

それと同じくらい、治療家が自分自身を知ること。その大切さも説いているのだ。確かに痛みの知識は大変重要である。しかしながら、鳥は片方の翼だけでは飛ぶことはできない。もう片方の翼である自分自身を知ることが肝要だろう。「痛み学NOTE」には価値がある。だがその価値を生かすも殺すも治療家次第なのである。自由の翼を手に入れるには、そうした心構えが必要になる。

どんなときにも、まず自分のことを知ること。これが始まりである。そして、「痛み学NOTE」とともに自分を確立すれば「百戦危うからずや」なのである。

 

最後に、私の好きな墨子の格言を。謙虚であれ!

孫子の兵法を主軸に論じてきた。しかし盲目的に自分を信じることにもいささか注意が必要だ。同じ諸子百家から墨子(墨家)を紹介する。今の中国には皮肉たっぷりだが、非攻と兼愛の精神を説いた墨子の私の好きな格言。「人はその長ずるところに死せざるは寡(すく)なし」(人は自分の長所によって身を滅ぼすことが多い)。

長所を伸ばせという昨今の風潮とは真逆の言葉。身につまされますなぁー。自分の力を過信するなとも読み取れる。過信は平たく言うと自惚れだ。治療に自信を持つのは良い。しかしながら、それが身を滅ばすこともあるのだ。謙虚であらねばならないだろう。どんなときでも。自戒の念を込めて。


山﨑 徹(やまさき・とおる)

はやま接骨院(高知県高岡郡)院長
・看護師
・柔道整復師
全日本オステオパシー協会(AJOA)京都支部長
シオカワスクールオブ・カイロプラクティック ガンステッド学部卒NAET公認施術者
 
看護師、柔整師の資格を有する傍ら、カイロプラクティックとの出会いからシオカワでガンステッドを学び、21世紀間際にスタートした科学新聞社主催の「増田ゼミ」 で増田裕氏(D.C.,D.A.C.N.B.)と出会ったことから、以後、氏の追っかけを自任し 神経学、NAETを学ぶ。現在は専らオステオパシーを学び実践しているが、これまでに 身につけた幅広い知識と独特の切り口でファンも多く、カイロ-ジャーナル紙から引き続き連載をお願いしている。

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