守屋徹氏・馬場信年氏「30年以上追い求める、カイロプラクティックの真の姿」カイロプラクティックジャーナル

  守屋徹氏・馬場信年氏「30年以上追い求める、カイロプラクティックの真の姿」

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守屋徹氏・馬場信年氏「30年以上追い求める、カイロプラクティックの真の姿」

  

今回ご登場いただいたのは私が尊敬してやまない、山形は酒田市在住の守屋徹氏と、鹿児島生まれで福岡在住の馬場信年氏のお二人。

その盟友関係たるや、私が最初にお二人をお見かけした30年前と少しも変わらない、いまだに見ていて惚れ惚れする関係です。当時のお二人は、日本カイロプラクティック総連盟(JCA)という団体に所属し、Dr.ジェンシーの『CHIROPRACTIC PRINCIPLES and TECHNIC』【昭和44年(来年40周年)に科学新聞社から翻訳出版された『カイロプラクティックの理論(フィロソフィー)・応用(サイエンス)・実技(アート)』】の教えに基づき、カイロプラクティックを貪っていた。

そのJCAが毎年秋に、成田空港の近く、成田ビューホテルで盛大にセミナーを開催していた。私は入社して間もない頃で、全く訳もわからないまま、このセミナーに駆り出され休日出勤を余儀なくされた。考えてみると、今と少しも変わらない生活の始まりがここにあったのかもしれない。

そこで初めて、守屋さん、馬場さんとお会いした。それがお二人とのお付き合いの始まりである。お二人に限らず、そのときにお会いした人には、今もお付き合いが続いている人がたくさんいる。私が今あるのは、偶然入社した会社の事業に偶然カイロがあったということと、早い時期にこれらの人たちに出会えたことだと断言できる。

今回、このお二人にインタビューさせていただくことにしたのは、30年にわたってカイロプラクティックを貪り続けているお二人に、この30年を振り返ってもらい、後輩に何かメッセージがもらえたらと思い立ったからだ。幸い、先月行われた日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC)第10回記念学術大会に、なぜかお二人は揃ってワークショップの講師として参加された。この機を逃す手はない。お忙しい中、会場の片隅でお話を伺うことができた。

カイロプラクティックと出会い、その素晴らしさに感動し、自分の一生をかけて学び続け、さらに研鑽を重ねてきたお二人の姿勢は、カイロプラクティックの真の姿を理解できずに迷い続ける人たちに、欠けているものを浮き彫りにしてくれるであろう! ただし、この話を参考にするか、しないかは読者次第であるが。

斎藤:お二人とは、かれこれ30年近くのお付き合いになろうかと思いますが、いつかきちんとお二人の言わんとしていることを伝えなければと思いながら、なかなかその機会をつくれず、結局はこんな形になってしまい申し訳ございません。今日はお二人とも学術大会ワークショップの講師として、お互いがお互いの座長となり、それぞれのテーマでの講義を受け持たれたわけですが、今年の大会のテーマが「ケアの本質-徒手医学からのアプローチ」。その中でナラティブ(narrative-物語)という言葉がキーワードになっていました。お二方が30年以上、カイロプラクティックの世界で頑張ってこられたそのものが、ナラティブな対処の方法だと思います。

では最初に、カイロプラクティックを学び始めたときのお話をお伺いしたいのですが、今とはずいぶん違っていたんでしょうね!

守屋:そうですね、僕らがカイロプラクティックを学んだ時代っていうのは1980年代初めぐらいだったでしょうか。情報がない部分、本当にカイロプラクティックの知識に飢えていましたね。学びたくとも、学ぶものがないといったところです。あったとしても「カイロプラクティックのバイブル」のような本。あとは国際セミナーとかいう名前で、アメリカから来たD.C.がやるセミナーぐらいです。とにかくカイロプラクティックのあらゆる情報に飢えていて、何が何でも学ぼうとしていた。そのときの目標ははっきりしていて、私の場合はディバーシファイド・テクニックだったのです。ところがその後、カイロプラクティックの情報がどんどん日本に入ってくるようになり、今は情報が混乱しています。今の人たちはただ情報を受け取って、自分で考えることを放棄してしまっているような気がします。いろいろな情報がたくさんあるということは、全く反対の意見もあるわけです。それをどんどん取り入れてしまうと、最後には「何がどうなの?」「何がカイロなのか?」という混乱が起こるのではないかと思うのです。今はそういう状況がずるずると続いているような感じです。

初学の人に何かアドバイスをするとしたら、あまりいろいろと脇目をふらずに、まず一つのことを徹底してやることが大切だと言えますね。基本がしっかりできれば自然と応用もできます。まず核となる一つのものを徹底してやる。結局、我々がやってきたのは、そういうことだったのです。

守屋徹氏・馬場信年氏
斎藤:おっしゃる通りですね。今は、カイロプラクティックを学んで、自分が効果を出せないと思うと次のものにいく。また駄目ならまた次のものに行く。その繰り返しのような気がするのですが、馬場先生はどう思われますか?

馬場:まさしくそうだと思いますよ。守屋先生のおっしゃる通りです。自分がカイロプラクティックを学び始めたときは、誰でもそうですが、何も知らないから、まず知ることから始めるわけです。教えられたことに対する批判力など当然ありません。それよりも、その教わったことをどこまで自分のものにするかが重要です。セミナーを受ければ、その度にノートをつくりました。そのノートに用語一つとっても、わからないことがたくさんあるわけで、帰って解剖学や生理学の本を引っぱり出して自分で調べる。学生ですから当然です。学生の勉強ってそうじゃないですか。そうやって学んできたわけですよね。20年間は自分でも褒めてあげたいぐらい、一生懸命勉強しました。しかし考えてみたら、金銭効率、時間効率も悪い。それに内容の効率たるや散々なものです。守屋先生が先ほどおっしゃった通り、なるべくそうならないように気をつけていたのですが、私もやっぱりツマミ食いをしてしまって、それをまとめるのにまた苦労をしたわけです。この苦労はこれからの人たちにはあまりして欲しくないですね。どうせ学ぶのなら、効率よくしっかりと学んでほしいです。

ただ日本の場合は、ご承知の通りきちっとした教育の制度が確立されていない。国が認めてないから、教え方もバラバラです。だからこそ余計に、学ぶ工夫が個人に課せられてくるわけですよ。もう少し、システムとして教育が機能すれば、学ぶ側の苦労ももう少しはよくなるはずですが。これは教える側の自分自身の反省も込めてですよ。

斎藤:馬場先生がおっしゃる通り、次の世代の人たちにはもっと効率よく学んでいただいて、例えば、これまで10年もかけて学んできたことを、5年とか3年とかに短縮してあげたいな、と思います。私どもが出版やカイロジャーナル、またウェブを通して質の良いカイロプラクティックの情報を提供するのも役目の一つだと思っています。

守屋:ただし、先ほど馬場先生がおっしゃったツマミ食いをやってきたにしても、今の人と決定的に違うのは、ツマミ食いしてもそこから考える、学ぶわけです。学ぶ基本の姿勢を持っているわけですから。だからツマミ食いしながらでもいろいろなこと、疑問を持ったことを自分の中で構築していくわけです。今は、これは自分に必要ない、活用できない、などとその先を考えない。自分のものをつくろうという気持ちが欠けているような気がします。

馬場:情報化社会と言われて久しいですよね。今はインターネットからの情報もあります。情報がお手軽になっています。キーワード検索で知りたい情報が簡単に入ってくる。それをそのまま表面だけで理解したつもりになっています。人のコメントを読んで、それをそのままに「そんなもんか」としてしまう。まず理念を持って、その中で自分のものにしていくという作業が大切なわけです。

馬場信年氏・守屋徹氏

斎藤:自社のPRをするわけではないですが、もっと本を読まなければいけない。私自身もそうですけれど、気に入った本や気になる本は何回も読み返します。何回も読むためには、何回も触れるためにはいつも自分の身近に置いておく。これは学ぶという意味では非常に重要だと思います。もっと本を読みなさい。そこからもっと考えましょう、と。

先生方お二人に監修していただいた本(『カイロプラクティック動態学 上・下巻』)がありますよね。買っていただいた方に「どうでしたか?」と聞くと。「難しい」という答えが返ってくるときがあります。先生方は「あれが難しいってどういうこと?」と思われるでしょうが、学生からは難しいと言われるのです。そもそも1回読んで理解できるわけがありませんよね。1回でわからないと難しいと思うのでしょうかね。彼らにとっては、写真とテクニックの説明が書いてあって、見ればある程度理解できるというほうがいいのでしょう。『カイロプラクティック動態学』のように「何を言っているのだろう?」と考えるよりは、写真と説明でわかった気になるのでしょう。

馬場:それは明らかな質の低下ですよ。
斎藤:あとは、中川先生が訳された『カイロプラクティック・セラピー』。お二方からは良著、いい本だとおっしゃっていただけるのですが。
馬場:『カイロプラクティック動態学』も『カイロプラクティック・セラピー』も共通しているのは、カイロプラクティックを包括したカイロ学の基礎モデルだと思うのです。だからじっくりと読み解いて欲しい。そうすると次にいける、次のステップが必ずあるんですよ。そういう意味で両方とも私は非常に良い本だと思います。
斎藤:私は、『カイロプラクティック動態学』はただの訳本ではないと思います。先生方がこれまで歩んでこられた、カイロプラクティックの知識があの上・下巻には投影されていると思います。
馬場:『カイロプラクティック動態学』は教科書にいいと思って訳したのですがね。向こう(アメリカ)でも教科書として使われていましたから。でも、今の日本のカイロプラクティックの学校では使いきれないのでしょうね。教える人もたぶん、これをやったって学生には受けないという判断なのでしょう。本当に残念ですね。
守屋:初学の人にこそ、これを読んで学んで欲しいですね。
斎藤:ウチとしては『カイロプラクティック動態学』を読んで、次に中川先生の『脊柱モーション・パルペーション』、そして『カイロプラクティック・ノート 1』と勉強していけば、かなり痒いところに手が届き、理解しやすくなると思うのです。段取りを経てやっていけば、かなりレベルアップすると作る側は思っているのですが、なかなかそうなりません。
馬場:では、最近どういう本が若い人に興味があるのですか?
斎藤:やはり活字離れが進んでいますね。本というよりDVDとか、見てすぐに入ってくるものが人気ですね。先日、中川先生の新刊『カイロプラクティック テクニック -上巻-』を上梓したのですが、中川先生ご自身も見てすぐにわかったような気がするものは避けたいということで、一つのテクニックを6ページで解説しているのです。これまでのテクニック本と同じなのは初めの2ページ、後の4ページはそれに対する説明や注意点が書かれていて、読み合わせていく仕組みになっています。私は「至れり尽くせりの本」は、思考することを止めてしまう、しなくなると思うのです。自分で考えなくてはわからない部分が、本にはなくてならないと思っています。

馬場:これは重大な問題かもしれません。これから学ぼうという人はもちろん本から入るのですが、例えば3年間ぐらい学んだ学生、開業して間がない人が、もしあまり本に触れたがらない、必要としないとなったら、これはもしかしたら教える側の責任かもしれませんね。

要は問題追求形、というきちんとしたステップを持ってカイロプラクティックを教えていない。単に検査と治療技術の切り売り的な教育になっているのかもしれませんね。これはこの業界にとって非常によろしくないことですね。

斎藤:今すごく危機感があって、このままだったら日本のカイロプラクティックがなくなるか、色褪せてしまうのではないか、と。そこを先生方のような方々からアドバイスしていただき、正しい方向に導いて欲しいのです。今後、柔整師たちがカイロプラクティックを取り入れる可能性が大いにあると思います。そのとき、カイロプラクティックがちゃんとしたシステムを作って提供できなければいけないと思うのです。

ところで、守屋さんは山形県酒田市、馬場さんは福岡市でカイロプラクティックをやられているわけですが、東京との違いというのはありますか?

馬場:それを意識したことは全くありません。私は東京では、まずセミナーをやりません。もっぱら地元、福岡で行っています。地元に何かお手伝いができれば、地元の活性化に繋がれば嬉しいですね。(馬場信年氏は、20年ほど前から「九州カイロプラクティック同友会」を組織し、セミナー、勉強会などの活動を行っています。)
守屋:私は、地元ではセミナーなどはしません。地域性ですかね、学ぼうという意識、学ぶことにお金を出そうとする意識が低いように感じます。
斎藤:昔、馬場さんが「福岡から何人も東京に行くんだったら、いっそ講師を呼んでしまえ」ということで安藤喜夫D.C.を招いたことがありましたよね。
馬場:それは地域性の違いです。昔からよく言われているでしょう。「後先考えずに、かけ声で真っ直ぐに突っ込んでいくのが九州で、総崩れになったときに防波堤を築くのが東北の人たち」と。
斎藤:最後に先生方のこれからの10年についてお聞かせください。
守屋:僕は早く引退したいのですが、この地域で飯食わせてもらったわけですから、できるだけこの地域の人と良い関係を持った治療家と患者でいられたら、と思っています。若いときは、とかく数とかにこだわっていましたが、これからは楽しく治療をしていければいいな、と思いますね。東京の人は、「お礼です」といろいろな物を持ってきてくれますけど、こちらじゃ、「うちで取れた大根です。野菜です」とか言って持ってきてくれます。これが最近ではすごく嬉しくなってきましたし、こういう関係がいいなと思うようになってきました。
斎藤:馬場さんは?
馬場:いやいや、同じですよ。一つは福岡にいるわけですから、この地で、こういう医療に携わる人たちに、少しでもお役に立てればいいなと思います。もう一つは自分の人生として楽しく過ごしたい。患者さん自身も治療を目的で来られる方もあれば、メンテナンスを目的で来られる方もいらっしゃる。そういう方々と和気あいあいというのがいいですね。私もオフィスを持って長いですから。お母さんのお腹の中にいた赤ちゃんが、22、23歳になって、柔整師になって偉そうにしているから「オイ、100年、いや1000年早いぞ!」って言ってあげるんです。でも楽しくやっているわけで、そういう人間関係が私の職務である治療と同時につながっていくのです。そういうのがないと寂しいなと思います。
斎藤:最初にお二人にお会いしたのが日本カイロプラクティック総連盟(JCA)の集まりで、確か成田ビューホテルでした。私も科学新聞社に入社したての頃で、先生方もまだ30歳代前半だと記憶しています。あの頃のお二人にお会いできたことで、私もその後30年近くカイロプラクティックと付き合うことができたと思っています。
守屋:そうですね。その頃の日本のカイロプラクティック界には前触れがありました。これが成功したら次のステップへ、そして法制化にいくのだという期待がありました。他の国も世界大会をやった後、法制化への道が開けているので、なんとか成功させなければいけないという、その一念ですよね。今これを成功させればその先が待っていると思ってやっていたわけです。でも結局、それが皆なくなってしまって。あのときは本当になんだったんでしょうね。
斎藤:お二方が盟友と認め合って、いろいろとやられているのを見ると羨ましくてしょうがないです。お互いのそういう盟友関係の中で、何か日本のカイロプラクティック界、そして若い人たちに提供していただけることがあれば、また、私の方からご依頼することもあるかと思います。その節はよろしくお願いいたします。

今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

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