榊原直樹D.C.「スポーツカイロプラクティックの道をひた走る」
今回の「この人に会いたい」は、新春からスタートしました「スポーツ・カイロ」の著者、榊原直樹D.C.です。
アメリカではしっかりと定着しているスポーツとカイロプラクティックの関係ですが、日本ではまだまだ発展途上の感もあります。その中で榊原先生は、スポーツ・カイロプラクティックの学位の中でも、難関中の難関であるDACBSPという学位をアメリカで取得されました。もちろん、日本人ではただ一人です。
- 斎藤:榊原先生が2度目の留学から日本に帰って来られて何年になりますか?
- 榊原:1年半ぐらいになります。
- 斎藤:カイロプラクティックの大学(クリーブランド・カイロプラクティック大学ロサンゼルス校)を卒業されて、日本に帰って来られたのは何年でした?
- 榊原:大学は1997年に卒業しましたが、そのまま2001年までロサンゼルスにいました。
- 斎藤:それは臨床でいたのですか?
- 榊原:そうですね。卒業して3年ぐらいロサンゼルスで働いていました。
- 斎藤:そのままアメリカにいようとは思わなかったのですか?
- 榊原:日本に帰って来た理由は、実はカイロプラクティックとはあまり関係が有りませんでした。
当時、インドに行こうと思い立ち、ロサンゼルスとインドの往復チケットを買って3カ月ほどインドで瞑想修行をしていました。帰りの便がたまたま関西国際空港経由だったので、そのまま関空で出てしまったんです。アメリカに帰りたくなくなったんですね。
- 斎藤:アメリカを発つときから、そのような予感があったのですか?
- 榊原:インドへ行こうと決めたときからある程度ありました。アメリカでの生活に迷いを感じ始めていたんです。アメリカという国は、いわゆる物質社会の究極のカタチです。それと全く正反対の場所として、自分にとってのインドがあったのです。インドでは精神的な部分がすごく強調される。アメリカで物質社会に慣れれば慣れるほど、精神性の部分がどんどん廃れていく。そういう社会にどっぷり浸かっていると、自分の精神も荒廃していくのではないかと。アメリカに帰ったらまたどっぷり浸かってしまい、そのまま知らず知らずのうちにそういうところで過ごしてしまうのではないかという危機感を感じ関空から出てしまいました。
- 斎藤:アメリカに残した荷物などは全然考えずに?
- 榊原:日本に戻ったのが3月で、どういう訳か日本ですぐに仕事が見つかり、結局8月にアメリカに行き荷物を整理して事なきを得ました。
- 斎藤:日本での仕事は臨床ですか? 教育の方ですか?
- 榊原:教育です。名古屋にあるカイロプラクティックの学校です。
- 斎藤:その学校は以前から知っていたのですか?
- 榊原:いいえ。3月に日本に戻り、日本のカイロプラクティックがどうなっているのか、とりあえずインターネットで調べてみたのです。そうしたらカイロプラクティックの学校がいっぱいヒットしました。そのうちの10校ぐらいに履歴書を送ってみたら、7校から返事がありました。実家が神奈川なんで、できれば東京がいいかなと思っていたのですが、その学校の方がとにかく非常に熱心に誘っていただき、結果的に名古屋に来ることになりました。
- 斎藤:3月に帰国されて履歴書を出し、名古屋で教鞭をとり、そして8月にはまたアメリカに荷物を取りにいく。目まぐるしい年でしたね。日本で教えてみてどうでしたか?
- 榊原:正直かなりのギャップを感じました。そのとき私は日本のカイロプラクティックがどういうものか、よく理解していませんでした。また、教えるだけでなく、実際の患者さんを診ることができる環境も必要だと考えていました。
その時のある先生の意見がとても印象的でした。「もし、日本でカイロプラクティックの治療をされるなら、マッサージをしないと患者さんは来ませんよ。先生はマッサージができますか?」と聞かれたんです。もちろん、私はマッサージを習っていませんから「できません。カイロプラクティックだけではダメなのですか?」と聞き返しました。「マッサージも出来ないとたぶん日本では無理ですね」と言われたのです。日本のカイロプラクティックの現状も知りませんでしたし、日本ではそういうものなのかなとそのときは思っていました。その先生は日本でずっとカイロプラクティックをやられている実績がありますし。
ですから、学校での授業でもカイロプラクティックのテクニックよりも、もみ、ほぐしといったマッサージに重点が置かれていました。
- 斎藤:もみ、ほぐしをしないと日本ではダメということではありませんよ。実際、塩川先生や中川先生ももみ、ほぐしなどせずに成り立っています。
- 榊原:その当時、自分の中では日本のカイロプラクティックを知るソースが自分の周りしかなかった訳です。マッサージがメインで、いわゆるリラクゼーションを中心にやるのと、カイロプラクティックを中心にやるのとでは全く違ってきます。リラクゼーションなら、生理学や解剖学の細かいことまでは知る必要がありません。患者さんの痛みを解消させるのではなく、リラクゼーションを提供すればいいのですから。
それであれば、生徒の必要とする知識のレベルもそんなに高い必要はありません。そういう状況で、私の教えていた解剖学などは、やっぱり興味がある人だけしかやらない。興味がある人は勉強し、そうでない人はテストで及第点を取ればいい、そう考えていました。そういう意味では自分の中で葛藤はなかったです。割り切れていましたね。
- 斎藤:そうは言っても、教えていれば慕ってくる生徒もいる。なんとかしてあげたい、という気持ちになりませんでしたか?
- 榊原:もちろん、ありました。
しかし、あまりにも環境が悪過ぎます。彼らにとっては悲劇ですよね。本当のカイロプラクティックが学べない訳ですから。彼らが学びたいと思っていることと、学校が提供するものの間にかなりギャップを感じました。 中にはリラクゼーションを覚えたいという生徒もいますから、全部が全部というわけではありませんが、今の状況だと、真面目にカイロプラクティックを学ぼうとする人ほど絶望してしまいます。「こんなものか」と思ってしまいますよね。
- 斎藤:日本のカイロプラクティック教育が、今後よくなると思いますか?
- 榊原:私自身、現時点では非常に悲観的です。
まず、教育に携わっている人たちの悪循環が続いている。カイロプラクティック教育に携わっている人たちのレベルが低いため、悪循環になってしまっています。 アメリカでカイロプラクターと言えば、もちろん資格を有しているということです。ある水準はクリアしているわけです。日本では昨日カイロプラクティックを始めた人間でも、カイロプラクターと言えてしまう。そういうところに問題があるんじゃないかと思います。
- 斎藤:結局、日本にいた間は、臨床はやられていなかったのですか?
- 榊原:やっていました。最初はリラクゼーションを取り入れないことに半信半疑でした。
しかし、やはり自分は本当のカイロプラクティックのみを患者さんに提供しようという結論に至って、やってみたところ、結構患者さんが来るのです。「いろいろなところに行って、いろいろなことをしてみたけど良くならない」そういう方が結構いらっしゃるんです。そういう中できちっと結果を出せば、カイロプラクティックだけでもビジネスとしてやっていけると実感しました。