《第30回》勇気と情熱持った仲間増やしたいカイロプラクティックジャーナル

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岡井健DCのI Love Chiropractic ! 《第30回》勇気と情熱持った仲間増やしたい2015.02.28

カイロジャーナル82号 (2015.2.23発行)より

カイロプラクターになれ!

日本の皆さん2015年のスタートはいかがですか? 日本はとても寒い季節ですね。寒い冬に負けないように熱く頑張りたいですね。皆さんの中にも熱い気持ちを胸に新しい年を迎えるに当たって新年の抱負や目標などを掲げた方もいることでしょう。わずか一カ月で挫折している人はいませんか? 大丈夫です。たとえ挫折したとしても何度でもやり直せばいいのですから。

私も今年の目標を色々立ててそれを実現するためのアクションプランなども練っています。目標がない人生はあっちへフラフラこっちへフラフラで行き当たりばったりになったり、目先ばかりを見ているうちに大きく方向がずれてしまっていたりするものです。私も今年でDCになって23年、自分のクリニックを開業して20周年となります。そこであらためて自分自身を省みて「カイロプラクターであれ!」ということを強く思いました。そして、日本でカイロプラクターを増やしたいと思い、その活動をプランニングしていました。

「三位一体」は厄介

まず、皆さんにお話ししたいのは、私がここで言うカイロプラクターという言葉の意味です。カイロプラクティックが生まれて120年も経つとさすがに創始者DDパーマーが考えも及ばなかった変遷を遂げているのではないでしょうか。カイロプラクティックに限らず世の中のあらゆる事象に同じことが言えると思います。これは色々な人が様々な思想と解釈の元に、より良きものへ変えようという想いから起こることです。それが個人的に都合の良いことなのか、カイロ自身にとって良いことなのか、それとも世の中の患者にとって良いことなのか色々でしょう。ましてやカイロはアート、サイエンス、フィロソフィーが三位一体となって織り成すと定義されているわけですからより多様性を生み出します。アートは大層個々の色が濃く出るものであるし、サイエンスにおいては120年前と今のサイエンスではあまりにもレベルの差があり過ぎます。その上フィロソフィーと言えばソクラテスやプラトン時代から苦悩と問答の象徴のような言葉であることを考えればカイロプラクター全員が一致した考えを持つなどあろうはずがありません。そんな厄介な言葉の三位一体で表されてしまえば、一世紀以上に及ぶカイロの歴史の中で我々愚かな人間たちによってこね繰り回され紛糾するのは至極必然の成り行きだと言えます。

今の時代にあまりにもハードコアなカイロの定義を叫んでみても一般の方はもちろん大部分のカイロプラクターさえ理解できない時代になっている事実を直視しなければならないのです。自分と違うアート、サイエンス、フィロソフィーを持ったカイロプラクターに目くじらを立てるのはいい加減に止めにしたほうがいいと私は思っています。なぜならそこからは何も建設的なことは生まれないと分かっているからです。自分が信じて愛するテクニックやフィロソフィーを大切にし、同じ考えを持つ同胞と分かち合い、これぞと思う人に継承するのは大いに結構なことです。しかし、自分と違うタイプのカイロプラクターを毛嫌いしたり、非難したり、交わりを持たないということは実に了見の狭い話です。そのような人格ではいくら技術や知識があっても多種多様を極める患者に対し良い施術が出来るか疑問です。

新発見にも注目を

私がカイロプラクターと呼ぶ人は、カイロを愛し、必死に学び知識や技術の研鑽をし、カイロで広く世の中の人を救い健康にする方々です。カイロが好きでなければ、この難しい技術を極めることなどできないし、あっちに良い治療法があると聞けばフラフラと、こっちにまた別の治療法もあると聞けばまたフラフラと歩み寄って結局中途半端になって大成できないのです。治療の引き出しは多いほうが良いなどといいますが、浅い引き出しがたくさんありすぎるのも考えものです。カイロプラクターならばやはりカイロのアジャストメントがしっかりと中心になければなりません。そのアジャストメント・テクニックが何であろうと私はその人が一生懸命真剣に勉強し必死に極めているものなら素晴らしいと思っています。

カイロプラクターとして知識や技術の研鑽は欠かすことのできないことで、それはカイロプラクターである限り一生続くのです。100年前の教えを大切にするのもとてもいいことですが、次々と解明されている新たな科学の真実を自分たちのカイロに照らし合わせてより有効な工夫をしていくこともまた必要なことです。それがサイエンスの意味することです。カイロは伝統芸能ではないのです。サイエンスですから常に時代の先端を行く科学の新しい発見にも注目するべきです。そして、人の体や健康のために手で人体に触れそこに施術していくことへの責任の重さを理解するならば、基礎医学の知識無しには絶対行ってはいけないということです。それではどれぐらいが十分な基礎医学教育かという問題があります。これは非常に難しくて多くの読者の気分を害することになるかと思いますが、常識的に考えて現在日本で国家資格として認められている柔整や鍼灸のカリキュラムを下回るものであってはいけないはずです。出来ればJACが掲げる国際基準が望ましいのは将来的には確かなことです。しかし、国家資格にもなっていないものに、そこまでも求めても現段階では無理があるので取り敢えず他の国家資格に劣らぬレベルであるべきです。もし将来カイロが国家資格となることがあれば、その時には段階的に教育レベルの底上げをしていくべきだと思います。

理論を広く発信する

最後にカイロで広く世の中の人を救い健康にしていくことについて述べてみたいと思います。いくら素晴らしい知識、技術を持っていてもそれを使っていなければ宝の持ち腐れです。より多くの患者を治療し結果を出していくことはとても大切です。そして患者にカイロを理解してもらう努力も必要です。世の中のほとんどの人が治りさえすれば何でも良いと思っています。それは当然のことです。しかし、私たちカイロプラクター自身が同じように思ってはいけません。やはり私たちはカイロを大切に思い、こだわりを持って極めていかないとやがてアジャストメントが出来る人が少なくなってしまって名ばかりのカイロプラクターばかりになってしまいます。そうなれば本当にアジャストメントを必要としている方に質の良いアジャストメントを施す人がいなくなってしまうのです。カイロの理論を分かりやすく一般の方々に伝えることで人々がより身近にカイロを感じ利用する人が増えるのです。それによって苦しむ人々が救われる道が開けることもあるのです。私は治療内容も分かりやすいものであるべきだと思います。自分が行っていることを科学的に説明できないのに信じろと言うのは余程他に例を見ないような突出した結果をコンスタントに出せるとき以外は世の中では通用しないと思います。

世の中に広くカイロを広めるためには自分一人の力ではどうにもなりません。この業界を整え知識、技術、意識の底上げが不可欠になってきます。自分の世界に閉じこもって目の前の自分の考えを分かってくれる人だけを対象にしているだけでは足りないと思うのです。世の中に出て行動することは傷つくリスクを伴います。しかし、この未成熟な日本のカイロ界にはもっと多くの勇気と情熱を持ったカイロプラクターが必要なのです。だから私は皆さんに敢えて言いたいのです。「カイロプラクターになれ!」 今一度私と共に自分を省みて世の中を見渡し、大きなビジョンと勇気で自分が何をなすべきかを考えてくれる仲間が増えることを願っています。私は決して夢見ることを止めません。日本が世界で一番のカイロ先進国となる日が来ることを。


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