斎藤信次残日録 其の八 『5月11日です。』2017.05.14
「1973年に上京して。『源兵衛』に『けめこ』」
昨日は割と平穏無事な一日だったが、それでも現社長の竹ちゃんこと竹内(敬三)さんが部屋に相談に来たり、夕刻からは中川(貴雄)さんや大陰(幸生)君から電話があり、会社を出たのは21時を回っていた。不思議なことに電話で話してたりすると時間を忘れてしまう。ただ最近はスマホなので持つ手が疲れて時計を見、ビックリして話を収めようとすることもある。
池田さんと岡部さんのことを書いていると、あれも書きたい、これも書きたいと思い出が湧き水のように出てきて先に進めなくなる。40年近くも前のことなのに昨日のことのように思い出せる。エピソードに事欠かない二人なので、またちょくちょ登場することになると思う。
私は1973年に東京に出てきた。今は西早稲田と町名が変わっているが、当時は戸塚町、2丁目513、岡田館(荘)というところに住み始めた。なぜここに住んだかというと、私の決断ではない。早稲田と慶応を受け、悩んだ挙げ句、慶応に行った兄貴が、いかに父親から弟の面倒を見ろと言われたとは言え、未練がましく早稲田界隈を選んだのである。言っておくが私はここから違う学校に通った。兄貴も面倒くさいところにしてくれたと思うが、この岡田館での生活も書いたらキリがなくなるようなことの連続だった。東京でのスタートをここで切れたのも兄貴のお陰である。感謝している。
そんなことより、先、先!
今日登場するのは、『早稲田 源兵衛』と『田舎料理 けめこ』である。源兵衛は岡田館にここでバイトしてた人がいて、アパートに近かったせいもあって状況間もなくから行き始め、オヤジ、オカミサン(オジサン、オバサンと呼んでいた)に本当にかわいがってもらい、バイトもさせてもらった。特にオヤジは目をかけてくれ、いい加減な学生生活(ギャンブル三昧)を戒め、まともに働くことを説き、たまに店がハネたあと店の売上をかすめ、いろんな店に連れて行ってくれた。その中の一軒に怪女ケメコがいた。その後、ケメコが独立開業することになったとき、オヤジは保証人になり店をバックアップした。親しい人たちはこの二軒に連れて行ったことがあるので、その人たちにとってはイメージしやすいかもしれない。
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