《第21回》国際基準を考えるカイロプラクティックジャーナル

  《第21回》国際基準を考える

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岡井健DCのI Love Chiropractic ! 《第21回》国際基準を考える2012.02.29


カイロジャーナル73号 (2012.2.29発行)より

2012年のスタートはいかがですか? 復興へ向けて前向きな雰囲気を日本から感じるような気がします。ヨーロッパをはじめ世界的に経済危機に落ち込む中、日本人の強さ、素晴らしさにあらためて敬意を表さずにはいられません。アメリカにいてもよく皆さんに日本人のことを褒めていただけます。アメリカで苦労して頑張った日系人や戦後の日本の復興、そして今回の大災害からの復興と、日本人は幾度もの試練と必死に戦い結果を出してきたのです。

ところが日本人は、そんな自分たちの凄さに気づいていないのではないかと思うことがあります。外国から祖国を見つめて暮らしている私たちからは、日本人が諸外国の優れたところにばかり目を向け、自分たちの国や国民がどんなに優れているかを忘れているのではないか、と時折心配になることがあります。でも考えてみれば人間は万国共通、隣の芝生は青々と繁って見えるもので、そのような傾向はなにも日本に限ったことではないのかもしれません。

ここ数年、私が日本の業界の発展に関して特に難しさを感じているのは、アメリカ生まれのカイロプラクティックを忠実に襲踏しようという想いと、現実の日本の国の療術医療の歴史や事情が噛み合わないところです。日本では既に、カイロプラクティック以外の代替医療や療術が長きにわたって存在していたところに、カイロが後発組で入ってきたのです。そのカイロは欧米諸国においては国に認められた医療として、後発組なのに世界をバックに乗り込んできたようなもので、そのパワーとプライドも日本の既存の代替医療の方々から見れば、いちいち鼻につくところだったのでしょう。

世界的に広がりを見せているものの、日本では法制化さえされていない未認可の医療のカイロが、上手く日本で広がり健全に発展していくというのは、至難の業であったことは明白です。微妙に違う意見を持つ方々が、それぞれが自分の考えこそが正しいと頑なに信じ、相交えない業界ではなおさらです。そして、カイロのオリジナルを大切にする気持ちは大事なことですが、それに固執すると日本ではいろいろと事情に即さない不都合も出てくるのでしょう。

そこで、日本でカイロが発展し健全に機能するためには、ある種の線引きが必要だということになりますが、その線の引き方でまた揉めてしまうのです。こうなると業界すべての人が満足する形は存在し得ないのです。そんな日本で国際基準を持ち出してもなかなか上手くいかないのも無理のないことです。なんせ業界の大多数が国際基準を満たした教育を受けていない上に、例えカイロの国際基準の学位を持っていたとしても、日本の社会では歴然たる無資格者なのです。私だって日本では無資格なのです。大変な想いをして国際基準プログラムの勉強をしても、どうせ無資格者なのなら、わざわざそんな苦労をする必要がない、という人が出てきても仕方のないことなのでしょう。

いくら教育は資格だけのためではないと言われても、教育には時間とお金がかかり、それ相応の見返りがなければ魅力は半減します。岡井先生がそんなことを言ってどうするんですか、とお叱りを受けそうですが、現実を認識することも大切です。私だって日本で国際基準の教育に高いお金を出し膨大な時間を費やすことに、どれだけ現実的な意味があるかと訊かれれば答えに窮してしまいます。優れた教育プログラムを通して、しっかりとした学位を持つことはもちろん大切で、カイロプラクターを名乗る大前提だという考えもごもっともだと思います。ですが今の日本で現実的かというと、それを自信を持って肯定することは難しい、と言わざるを得ないということになります。

本音を言えば、普段は国際基準の教育もそれに満たないプログラムも、患者を治療する上ではそれほど大きな差はないのかもしれません。個人レベルで勉強熱心な先生のほうが、体への理解が深いように思えたりもします。しかし決定的な違いは、個人的にいくら勉強や研究をしても、それは自分の興味があるところに、好きなところに集中し偏ってしまうということです。国際基準レベルの教育カリキュラムには、一見無駄に思えたりカイロと直接関係の薄い授業も多く含まれます。それは人の体を扱うという、非常に責任の重い仕事に携わるためには、より広い知識を身につける必要があるということだと思います。長い間臨床に携わっていると、この差が重要なポイントとなる局面に必ずぶつかると思います。

法制化されていない日本に国際基準は必要ないと言い切るのは問題です。国際基準を持ってなければ認めないというのも今の日本では現実的ではありません。一体国際基準って何、という疑問もあります。アメリカだって50年前のDCが受けた教育は、現在のものに比べれば実に基本的でシンプルなプログラムでした。どうしてここまでカリキュラムが難しく、ハイレベルになってきたかというと、それは世の中に認めてもらうためだと思います。国に州政府に保険会社に他の医療関係者に、そして何より患者に認めてもらえるように、医学的知識を有する者として認めてもらうために、医学部に匹敵するカリキュラムへと成長してきたのでしょう。アメリカでも長い年月を費やしてここまでの教育プログラムに徐々に成長させてきたのです。

ですから日本でも、少しずつ国際基準を目指して成長すればいいと思います。最初は2年制のプログラムを認めるところから始めるべきなのでは、と思います。そして業界が少し低くても一つの基準でまとまるほうが重要だと思うのです。そのようにして業界が大きな団体として基準を共有し資格を発行することで、90%以上の人が日本なりの基準を満たすカイロプラクターとして胸を張ることができるのです。その後に学校間やJACで話し合いながら、少しずつ足並みをそろえて教育プログラムを充実させなければなりません。そのためにはそれだけの時間と費用をかけても、資格を取りたいと願う学生がどんどん増えるように業界自体が魅力的になっていなければ絶対に上手くいかないと思います。

国際基準を持つ人たちだって、日本では無資格なのにその学位にしがみついて業界をまとめられないというのでは、そのことに一体何の意味があるのでしょう。今の日本の現状において、2年生の学校を認めるのに何の躊躇があるというのでしょう。私には理解できません。アメリカにいるからそんなことを言うのだと思うかもしれませんが、外からはよく見えるものが内にいては見えなくなってしまっていることって、たくさんあると思いませんか? 国際基準やDCを持っていることは素晴らしいことです。多くの犠牲や努力の結果、それを手にすることができたのです。その苦労を味わってきた人だからこそ業界のため、そしてカイロを必要とする多くの患者のために歩み寄り導く大役を担うことができるのではないでしょうか。

もし、JACが国を代表する団体として名実ともに君臨したいのなら、日本の事情を全く知らずに外国の基準を勝手に押しつけてくる者に迎合し、国内のカイロプラクターを弾圧するより、日本の業界にとってのベストの発展を世界に理解してもらい、見守ってもらうことに力を注ぐべきだと思うのです。

日本人は素晴らしい。例え遠く離れていても私には大切な祖国です。カイロプラクティック発祥の国のカイロは医療危機の現代で迷走を続けています。暮らしや利益を守るために、さまざまな過ちを繰り返している気がしてなりません。盲目的にアメリカや諸外国から入ってくるものに飛びつく時代はもう終わったと思います。多くのテクニックが商業ベースに取ってつけたような正論でセールスをしています。よく見極めて何が自分に必要なものかを判断しないと、身につかないばかりか自分を見失って成長の妨げにさえなりかねません。
日本には既に十分に素晴らしいカイロプラクティックが伝わっています。あとはそれを熟成させるべきなのです。これから日本へ伝わる新しいものよりも、基本的なものに目を向け、自分のカイロプラクティックを確立していくことの大切さに気づくほうが増えることを願っています。そして日本で日本人による、より優れた学びの場が提供されることが大切でしょう。

多くのカイロプラクターがエゴを捨て、本当の意味で患者のために、業界のためにまず世間に対しカイロプラクティックを啓蒙し、カイロのニーズを増やし魅力的な業界として活気にみなぎることから始めなければなりません。そのために何をすればいいのか、自分たちで考え行動に移さなければならないのです。学ぶことの大切さ、歩み寄ることの大切さ、惑わされずに基本を見つめることの大切さ、そして世の中の人々にカイロプラクティックを啓蒙していくことの大切さを、しっかりと自覚して前に進んでいって欲しいと心から願います。

皆さんは誇り高き日本人として、日本なりのカイロプラクティックを自分たちのペースで育み発展させればいいのです。やがてアメリカの、いや世界のカイロプラクティックを凌駕する日が来ると私は信じています。そのときに胸を張って日本のスタンダードこそが世界の標準だと言えるのです。


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