《第25回》極めるという気持ちカイロプラクティックジャーナル

  《第25回》極めるという気持ち

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岡井健DCのI Love Chiropractic ! 《第25回》極めるという気持ち2013.06.27

必死に頑張る愚直さが人を変える
カイロジャーナル77号(2013.6.27発行)より

先日、日本のテレビを観ていると、作家の林真理子さんの新刊「野心のすすめ」という本にまつわる番組をやっていました。林さんが大学生のグループと対談をしていました。噂には聞いていましたが最近の若者の「がむしゃら否定思考」とでも言うのでしょうか、必死に頑張って何かに向かっていくというより、自分らしい(?)ペースで生活をすることを選び、冒険より安定を選ぶという風潮や意見を実際に聞いて、改めて違和感を感じてしまいました。

がむしゃら否定思考

一つには育った時代背景の違い、私のように日本の高度経済成長の中で育ち、バブル経済の恩恵を受けて留学し、仕事をはじめてからシリコンバレーバブルの中で生活してきた者と、生まれてからずっと不景気な世の中で育った人の感覚の差だと思いますが、その夢を見ることのない地味な意見に、若者らしさというかエネルギーを感じることができませんでした。「就職活動をしてもなかなか上手くいかない」と語る彼らの入社審査をしているのは、たぶん私と同世代の方々だと思います。当然、私と似た違和感を彼らに感じたことでしょう。

時代背景もあって安易に彼らを責める気にはなれませんが、もっとやる気やエネルギーを溢れさせ、がむしゃらに必死に何かを求める気持ちを持って欲しいと願ってしまいます。若いうちはどんどん冒険してチャレンジして、失敗して落ち込んで、またそこから這い上がってということをたくさん経験するべきなのです。必死に必死に頑張って、自分を追い込むことで自分の本当の可能性や能力を知ることができるのです。

私から見て、どう見ても頑張っていない人に「自分は自分なりに頑張っています」と言われたり、「できる人たちには、できない人間の気持ちなんかわからないですよ」とか、「上から目線で言われても困ります」などと言われたら、いくら彼らの気持ちをわかって上げたいと思っていても、正直なところガッカリして話をする気がしなくなります。若い人にそんなレベルで頑張っているとか、一生懸命やっていると言われたら、アドバイスする気にもなれませんし、手助けしようとも思えません。ましてや、本当に必死に頑張っていない人間に上から目線だと言われると、それは、自分自身を必要以上に卑下する情けないことだと周りから思われていることに気づかないのだろうか、せっかくの能力があるのにもったいないと思わないのか、と不思議に感じるのです。

一生懸命にがむしゃらに努力することができない人は本物のプロフェッショナルにはなれません。世の中そんなに甘いものではありません。「そこまで自分を犠牲にして頑張るのは幸せだと思えない」とある学生が答えていました。私も若くて大馬鹿野郎だった頃に「仕事は人生を楽しむために必要なお金を稼ぐためであって、別に好きな仕事につかなくても構わない」と偉そうに言って、ある方から呆れられたことを覚えています。その方は自分の仕事に命を懸けていたプロフェッショナルでした。今思い出すだけでも赤面してしまいます。楽で簡単な近道を探すことを考えていた私が、やがて「自分の知る誰よりも努力して頑張るぞ」と誓うに至ったのは神の啓示だと思っています。「一番の近道はビジョンを見失わずに、やるべきことを誰よりも必死に頑張る愚直さだ」と気づけたことは幸運でした。

「一生懸命頑張っている人を見て、あの人あんなに頑張って疲れ切って幸せなのかなと思ってしまうんです」という学生に対して林さんが、頑張って頑張り抜いてようやく立てる境地があり、見える景色、感じることのできる幸福感があるという意味のことを言っていました。まさしくその通りだと思いました。数人の学生が対談後のインタビューで「林さんの話を聞いて、自分を省みて考え方が少し変わりました」と言っていました。素晴らしいことです。その出来事は彼らの人生にとって珠玉の時間と言えるでしょう。今の若者すべてが今回の対談に集まった大学生のような考え方ではないと思いますが、多くの若者たちに林さんの本を読んで、これからの自分の生き方をもう一度考え直して欲しいと思いました。

カイロの世界を見回したとき、私が尊敬の念を抱く方は学位で決まるのでも、年齢や経験の長さで決まるものでもありません。テクニックの種類やフィロソフィーで決まるものでもありません。私自身は使っていませんが、アクティベータや上部頚椎テクニックでもその道で極めている方は、その陰にある熱意と努力がわかるので尊敬します。どんなに自分は正統派のカイロプラクターで、強いフィロソフィーを持っていると言っていても、その人が努力不足なら尊敬などできません。実際、人の学位やテクニック、フィロソフィーにケチをつける前に、自分自身をもっと磨いて欲しいと思う方が余りにも多いです。インターネットでくだらない匿名の書き込みで人を中傷する暇があったら、自分自身のレベルアップをしたほうがいいのではないかと心配になります。私はアクティベータを使おうが、アトラスだけしかアジャストしなかろうが、その人が必死の思いで努力をして極めたのなら素晴らしいし、その先生の患者はとても幸せだと思います。その道を極めるという揺るぎのない強い気持ちが大切なのです。

私は、カイロプラクターはアジャスト以外はするな、などという考え方ではないし、患者に必要ならいろいろな療法を組み合わせるのもありだというタイプです。しかし、カイロプラクターなら自分のテクニックをとことん研鑽し、最高のアジャストメントを患者に提供しなければならないと思っています。それにプラスして他の療法を取り入れる分はいいですが、アジャストメントが未熟なのことへの埋め合わせで他の療法に力を入れたり、他の療法へのオマケでアジャストメントを行う方をカイロプラクターとして尊敬することはできません。十分な努力をして患者の治療結果も優れているのなら、確かに素晴らしい治療家なのかもしれませんが、カイロプラクターという名称には値しないということです。カイロプラクターなら、カイロプラクティックが好きなら、勉強するのも当たり前だし、テクニックの練習をするのも当たり前なのだから、もっと努力をして欲しいと思うのです。その先にきっとカイロプラクターとしての幸せが待っていると思うのです。

日本の多くのカイロプラクターにもっともっと泥臭く、なりふり構わず没頭してアジャストメントの練習をして欲しいと思います。目標を高く掲げて切磋琢磨して欲しいのです。人によってセンスも能力も違うので、習得に要する時間は違うでしょう。でも常に上を向いて必死に頑張って欲しいと思います。アジャストメントが上手くいかなくて悔しくて眠れなかった夜を思い出します。学生時代、早朝まだ誰もいないテクニック・ルームでダミーを相手に黙々とボディードロップの練習をしてた日々を思い出します。自分より上手い人がいると、悔しくてもっと上手くなりたいと研究してカイロのこと以外考えられなかった頃のことを思い出します。そんな必死の日々の積み重ねが今の自分を、今の幸せを支えているのだと思うのです。

最高のアジャストメントを最高の診断の下に最高の形で提供できる、知識、判断力、そして技術を持つカイロプラクターがもっと増えたときに、テクニックやフィロソフィーのちょっとした違い関係なしに、お互いを尊敬し合える業界ができ上がるのではないかと思います。私自身もまだまだ発展途上だと思っています。皆さんに偉そうに言うからには、これまでにも増して技術や知識の研鑽に励みたいと思っています。このコラムが一人でも多くのカイロプラクターの心に響いてくれることを願っています。まだ上から目線だなどとくだらないことを言っている人が一人もいないことを願っています。ぜひ皆で一緒に励まし合ってカイロプラクティックを極めたプロフェッショナルになれるように頑張っていきましょう。

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