痛み学NOTE 《第44回》侵害受容感覚は痛みや症状ではない 生理学的かつ心理学的な因子が複合2015.08.05
カイロジャーナル83号 (2015.2.23発行)より
何が、何ゆえにルートのポイントを切り替えるのだろう?
前回紹介した「ディスアファレーション(Dysaffarenntation)」概念の第一人者であるDavid SeamanDCは「医師やカイロプラクターは、侵害受容感覚(Nociception)は痛みと同じと見ることがあるが、これは間違いである。臨床家は神経科学の原則を心しておくべきだ」と述べている。とても重要な見解だと思う。
侵害受容感覚とは、侵害刺激を受容したときの感覚である。その感覚が引き起こす結果としての「痛み」であるが、それはあくまでも結果のひとつに過ぎない。他にも様々な自律神経症状が結果になり得るわけで、侵害受容感覚は痛みやその他の症状とイコールではないのである。要するに「侵害受容は症状ではなく、痛みでもない」ということだ。
そのことの説明のために、SeamanDCはBernard Feinstein博士の「局所痛と関連痛のパターン」を調べた研究(1954年)を取り上げている。被験者の棘間に高張性生理食塩水の注射(深部侵害刺激)をし、痛みを発生させる実験である。深部侵害刺激の痛み発症ルートはよく知られており、Aδ線維からの求心性ニューロンは新脊髄視床路、C線維は旧脊髄視床路、これらの前側索系のルートを通って、視床、視床下部に至り、辺縁系に投射されて「痛み」や「苦痛」が生まれることになる。
この実験で重要なことは、高張性生理食塩水の注射ですべての被験者が痛みを経験したわけではなかった、ということである。痛みを経験しなかった被験者のグループはどうなったのかというと、彼らは蒼白、発汗、除脈、血圧降下、気が遠くなる感覚、吐き気、失神など、痛みの代わりに複合した苦しい症状に悩まされたのである。Feinsteinは、これを「自律神経随伴症状」と呼んでいる。同じ侵害刺激が痛覚系や苦しみの情動系のルートを辿るかと思えば、自律神経症状のルートを辿ることもある。
鉄道のレールでも、行先を変えるためにポイントの切り替えがある。侵害刺激という始発の感覚が、前側索系を経由して痛覚・情動系のルートへ、そこには「局所痛」へ行くルートと「関連痛」に行くルートがある。あるいは自律神経反応賦活系(内臓症状)のルートもある。
それぞれが、行先のルートを変更するためにポイントが変えられる。さて、そのポイントの切り替えは、何が、何ゆえに行っているのだろう。謎解きは容易ではないが、「侵害受容感覚」は「痛み」や「症状」ではないとする区別だけは、しっかり認識しておく必要がありそうだ。
痛みは決して力学的ではない
痛みの伝達経路は3次のニューロンによって引き継がれ、皮質で認知されてはじめて「痛み」となる。したがって、純粋に力学的・機械的な痛みというものはありえないが、往々にして、痛みを力学的に捉える見方が先行してはいないだろうか。
力学的刺激によって引き起こされた損傷を考えてみよう。組織損傷が引き起こされると炎症が起こる。化学伝達物質(プロスタグランジン、ブラジキニンなど)が産出されるのだが、これらは強力な痛覚増強物質である。非ステロイド系消炎鎮痛剤(NSAIDs)、ステロイドなどの抗炎症作用を持つ薬物は、炎症反応のカスケードの中の特定反応を阻害する物質である。
血管の損傷の場合は出血が伴うので、必ず止血反応が起こる。一過性に細動脈が収縮し、それによって血小板が凝集し、凝血塊が作られ止血する。この反応中に血小板から分泌されるセロトニンは発痛物質でもある。
その後に今度は血管の拡張が起こる。血管拡張には「カリクレイン・キニン系」と呼ばれる体内調節系がかかわり、強い発痛作用のある炎症メディエータ、ブラジキニンが生成される。これは発痛によって動きを抑え、炎症反応を促進することで治癒に導こうとする体内における調節作用である。
力学的刺激によって引き起こされた損傷も、炎症メディエータによる生化学的な背景によって、痛みが引き起こされている。要するに、痛みは決して力学的ではない。力学的・機械的因子に加えて、生化学的で、心理学的な因子の複合したものとして痛みを捉えなければならないということだろう。
これらの因子の中で、特にどの因子が優位になるのかということについては、これまた決して一様ではない。個人差があるということになるが、それはストレス・バランスによって表現されているように思える。