脊柱モーション・パルペーション(MP) と私カイロプラクティックジャーナル

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脊柱モーション・パルペーション(MP) と私

中川貴雄D.C.との出会いはモーションパルペーションとの出会いだった
WEB先行配信記事 2016.1.17

私が入社したのが1978年、脊柱MPが日本で出版されたのが1985年のことである。当時、私はまだ社歴も浅くカイロプラクティックのこともよく知らなかったので、この本の製作に関わることはなかった。が、中川先生がご自身でつくられたこの本の英語版を持って、「この日本語版を出版したい」とご夫婦で相談に来られたことは今でもはっきり覚えている。カイロプラクティックのことはよく知らなくても、アメリカ・ロサンゼルスの大学で教鞭を執っているということを聞いただけで、「そいつは凄いや」と理屈抜きで思ったからである。そして、その本がまさか当社の1、2を争うロングセラーになるとは、当時の私には思いもよらなかったことである。

初版が85年の4月なので、先生たちがお見えになられたのは83年だったと思う。当時、私は当社の本業である「週刊 科学新聞」の購読管理と、ちょうどスタートしようとしていた科学技術庁(現在の文部科学省)からの受託事業をやらされそうになっていた(言い過ぎか)頃だった。そして、今も昔も変わらないが、休日に開催されていたカイロプラクティックのイベントに駆り出されていた頃だった。

入社して5年、おおよその社業を理解し生意気な盛りだったと思う。しかしカイロプラクティックのことを知っていると言うには、まだまだ経験不足だった。だから、アメリカの大学で教鞭を執っている先生、それも30代前半とそう年齢も離れていない。興味を覚えないわけがなかった。結局、そこで中川先生を知ったことで、私のその後、また現在の立場が決まったのかもしれない。

先生は留学前に柔整、鍼灸、さらにX線技師の資格を取り、既にかなりの臨床経験もあったので、日本で出版するならまずは馴染みのある「医道の日本」を発行する同社にと思っていた。しかし、当時同社はカイロプラクティックに対してそれほどの興味を持っておらず、即座に断ったのである。そこで先生は知己のDCに相談した。そうしたところ当社の名前が出てきたわけだが、先生にとっては科学新聞社、何をやっているのかよくわからない会社だったろう。が、「日本で出版できるなら」と相談に来られたのであろう。

先生の対応にあたったのは当然と言えば当然、先代の社長、池田と島井という出版担当の役員だった。今だから言えることだが、両者とも社歴の浅い私よりもカイロプラクティックのことをよく知らなかったと思う。しかし、これが幸いしたのだろう。中身が検査法の本だということも全く意に介さず、当時カイロの本がボチボチ売れていたので、カイロプラクティックの本というだけで即断即決OKしたのである。

私はこの本に興味を覚え、製作過程を詳細に見ていた。だから、当然この本のことを社内で最も知るのは私ということになった。出版当初、検査法の本ということもあってか、なかなか売り上げが伸びなかったが、日本のカイロプラクティック事情をよく理解できていないにも関わらず、「日本には必要な本、そのうち絶対売れる」となぜか裏付けのない確信を持っていた。そんなことがあってから、その後の先生の本はほとんど私が担当することになった。

余談だが、医道の日本社さんで先生との対応に同席していた担当(現在は退職)と後に親しくお付き合いすることになり、先生には笑えないだろうが、あの一件は私たちの間の定番の笑い話となった。このこともまた古き良き時代のおおらかさとして懐かしい。

とにかく当社、またそれ以上に私にとってかけがえのない一冊である。

株式会社 科 学 新 聞 社
代表取締役社長 齋藤 信次

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