其の十三『レジェンド 増田さん』カイロプラクティックジャーナル

  其の十三『レジェンド 増田さん』

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斎藤信次残日録 其の十三『レジェンド 増田さん』2017.05.22

「行って良かったな、また行くか!」 


先月29日の「昭和の日」(昭和21年、「科学文化新聞」の創刊日)から再びブログを書き始め、書くことにも慣れてきて割とスムーズにWeb版の管理人、赤海に原稿を送っていたら、なんと「頻度を落とせ」の指令。「ハイ、ハイ、やりますよ」と安請け合いして再開したブログだが、まずは有言実行できてホッとしていた矢先だけに「えーっ、そんなことありー?」。だがWeb版に関しては赤海に絶対服従、二つ返事で「ハイ、ハーイ、のんびり書かせてもらいまーす」。

ということで1週間。

先週17日(水)は2カ月に一度の、愛すべき持病「痛風」のチェック日。50代に一度だけ疑似痛風という訳のわからない痛みを半日間だけ発症したが、マジ痛風は通院し始めてから発症していない。40代はそれこそ、ここぞというときに発症し、そのたびに往生した。それで通院し始めたのだが、通院していて何がいいかというと、とにかくその安心感である。医師の指示によって、腹部エコーや胃カメラを受けることもできるし、職場の定期検診だけでは心許ないので、この年齢になると欠かせないものとなっている。

この日は、このあと10時から静岡の増田(裕:ひろし)さんのところに向かって出なければならなかったので、9時の外来スタートの一番に診てもらおうと、8時半の受付開始時間に行った。そんな早い時間に行ったことがなかったので、待合室に座っていたら担当の女医さんが「あら、今日はどうしたの?」、「10時に静岡に向かって出なきゃいけないんで」、「そうなの、それじゃ時間前だけど診てあげる」となり、9時には診察が終わり、薬局を経由しても9時半には出社できた。

もう既に同行する丸山が来ていて、車の中でスヤスヤ眠っていた。予定通り出発、上手くいくときは何事も上手くいくもので、天気もいいし高速もそれほど渋滞してないし、増田さんとの久しぶりの再会を後押ししてくれているようだった。

増田さんは私より6つ上、ベビーブーム時代の慶応の経済だから、優秀なのは折り紙つき。卒業後、「科学新聞」と同系の業界日刊紙を発行する会社に就職。のちの増田さんを彷彿とさせるが、独自のやり方で成果を上げ将来を嘱望されるも、40代を前に一念発起し退職、カイロプラクターを目指すことに。それから学校探し、入学が間に合う2校のうちの1校、シオカワへ入学したことから出会うことができた。かれこれ30年の付き合いになる。

シオカワ時代の彼は、当然の成り行きだろうが、「日本カイロプラクティック・リサーチ協会」(JCRA:シオカワ関係者による協会)の会報の編集を担当、同誌の内容を一新させた。その後、卒業を待たずにパーマーに留学したが、支給を受けようとしていた奨学金を、先輩留学生のルール違反で受けることができなかった。それを聞いたシオカワの有志たちが寄付を募り送金したことを思い出す。

彼は常に「剣が峰に立ったつもりで事に当たる」と言っていた。パーマーでも常に人より先んじて教室に行き、最前列で授業を受けていたようだ。そういう留学生活をしながらも本紙やJCRA会報に投稿、その頑張りに「よぉーし」という活力をもらったのは私だけではないと思う。

「彼こそカイロプラクティックのカイロプラクティックたる所以を語れる人」と確信していた私は、ガンステッドのDr.トラキセルのオフィスで研修し帰国した彼を、静岡の自宅に設けたオフィスが落ち着くのを待って、ゼミ開講の依頼に行った。答えは「月の売上が100万をクリアするまで待って」であった。「承知」と待って、やっと「増田ゼミ」の開講に漕ぎ着けた。初年度のテーマは「カイロプラクティックとは何か?」、これぞ私の待望していたものだった。1998年のことである。

このときのメンバーが、若林、丸山、大薮、小田桐、松井らの「増田組」であり、MCC(メディカル・カイロプラクティック・カレッジ)の松井学長(当時)、現在の増田カイロプラクティックセンターを切り盛りしている斉藤友美恵ちゃん、山崎、遠藤、北川、吉田など、実にいろんな人たちが集い懇親会で大いに語り合った。また彼は、東京に出るタイミングを利用し、松井学長からの要請でMCCの教鞭も執ったし、『エッセンシャル・カイロプラクティック 哲学』や『THE NOTES -ガンステッド症状別患者管理ノート-』などを訳してくれた。

ゼミは、増田さんが受講者たちに「キャリック神経学の学位(DACNB)を取得するため1年間付き合ってくれ」と頼んで、文光堂の「神経局在診断」をテキストにしての講義となった。現在、丸山が神経学講座を行っているが、後々他のテーマになるにしても、スタートはこのテキスト以外にない。版は4版から6版へと改訂されているが、テキストで使用する師弟の気持ちは一つ、9月からの第2期も、もう1期このテキストで行う。

日本人第1号のDACNB取得者になった後は、内容も「キャリック神経学」となり、さらに300時間コースへと移行していった。そうして、しばらくして友美恵ちゃんとともにDr.ナンブドゥリパッドの「NAET」となり、その来日セミナーの事務局もやらせてもらったが、凄い求心力であっという間に満員となった。その後に訳書『病気よ、さようなら』が出版された。

そんな付き合いを続けているうちに、10年ほど前に増田さんが病を患い、その後、遠慮もあって会う機会を得られなかった。それが、昨年6月に社長を退任し、3月の決算で私が手がけた本の在庫の整理を思い立ち、今回『病気よ、さようなら』の件で最初から静岡に行くつもりで友美恵ちゃんと連絡を取り始めた。その話が具体的になるにつれ、誰か一緒に行く奴はと考えたとき、増田さんを師匠と仰ぎ、水曜日が定休日の丸山しかなかった。

増田さんとの再会は、「上手くいくときは何事も上手くいく」と前述したが、彼との時間、また友美恵ちゃん、MCCで彼に学んだ留美ちゃん(佐藤留美子さん)、彼の患者だった桐ちゃん(桐井千恵さん)の3人の美女介護軍団との時間もすごく楽しく、時間を忘れて話し込んでしまうほどだった。

帰る時間がきてしまった。別れ際に増田さんと交わした左手の握手、出発する車に向かって何度も、何度も「ありがとう、ありがとう」と言ってくれた声は一生忘れることができない。こちらこそ、もう一度手を握って言いたい「ありがとうございました」と。帰りの車中、丸山としみじみ言い合った「行って良かったな、また行くか!」。

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